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HIVを公表すること [健康・医療]

先日、南アフリカのマンデラ前大統領が息子のエイズ死を公表しました。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/america/news/20050107k0000e030030000c.html

 南アフリカのマンデラ前大統領(86)は6日、ヨハネスブルクの自宅で記者会見
し、息子のマカト・マンデラ氏(54)が同日、エイズによる合併症で死亡したこと
を公表した。
 南アは、エイズウイルス(HIV)感染者数が世界最多で、1日に推定600~7
00人がエイズで死亡しているが、偏見が根強く、家族が死因を明らかにしないケー
スが多い。前大統領は「隠すのはよそう。死因はエイズだったと(皆が)堂々と言う
ようになれば、人々はエイズを特別な病気と思わなくなる」と公表の理由を説明し
た。

 マンデラ前大統領はエイズ問題をライフワークとして、チャリティーコンサートや
基金集めなどに取り組んでいる。(ヨハネスブルク共同)

毎日新聞 2005年1月7日 10時12分
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今度は、イギリスの閣僚がその言葉に共感してHIV陽性を公表しています。
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200501310004.html

英元閣僚、17年前からHIV陽性と公表
2005.01.31
Web posted at: 12:31 JST

- CNN/REUTERS

ロンドン──ブレア内閣の文化相を務めた労働党のクリス・スミス議員(53)は3
0日付のサンデー・タイムズ紙に対して、自分が17年前からHIV陽性だったと明
らかにした。南アフリカのマンデラ前大統領が、息子の死因をエイズと公表したこと
に動かされたためという。

スミス議員はサンデー・タイムズに対し、「ネルソン・マンデラの言葉にとても共感
した。誰もHIVを恥だと思う必要はないと言い、ほかの病気と同じように扱うべき
だと言った。マンデラは勇敢で正しい」と述べた。

1997~2001年にかけてブレア内閣の文化相を務めたが、ブレア首相に自分が
HIV陽性だと明かしていなかったという。

「自分の職務能力に影響はなかったので、話す必要を感じなかった。身近にいるごく
ごく少数の人にしか打ち明けていなかった」とスミス議員は話している。

最初にHIV陽性と診断されたのは1987年だという。

「最初に知らされた時は、本当に不安だった。当時はまともな治療法がほとんどな
かったから。しかし私は幸運にも比較的早く治療薬AZTの投与を受け始めることが
できた」とスミス議員は話し、以来17年間、治療薬と食餌療法の組み合わせで健康
を保っていると説明した。

スミス議員は、同性愛だと公表する政治家がまだ少なかった1984年に、自分が同
性愛だと明らかにしていた。

今年5月に予想される総選挙を機に、議員生活から引退する予定という。

南アフリカのマンデラ元大統領は今年1月6日、息子マカト・マンデラ氏(54)が
エイズによる合併症で亡くなったと公表し、エイズ差別の撲滅を呼びかけた。
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日本でも報道されています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050131-00000005-san-int

スミス英下院議員 HIV感染公表 マンデラ氏告白に感銘

 【ロンドン=蔭山実】英国の議員として初めて同性愛者であることを告白した与
党、労働党の元国民文化相、クリス・スミス下院議員(53)が三十日付の英日曜
紙、サンデー・タイムズに対しエイズウィルス(HIV)に感染していることを明ら
かにした。感染が判明してから十七年もの間、公表を避けてきた同議員が沈黙を破っ
たのは、南アフリカのマンデラ前大統領が、エイズに対する偏見をなくそうと息子が
エイズで死亡したことを公にしたことに触発されたためという。
 スミス議員はこの中で、「感染を知ったときは治療方法もほとんどなく、本当に心
配だった。治療薬の開発で普通に生活することができ、幸運だった」と語り、エイズ
と戦えるようになってようやく公表できる時代になった点を強調した。
 ただ、公表の直接の引き金はマンデラ前大統領の告白だったという。
 スミス議員は「息子のエイズでの死亡を公にし、エイズだったことを恥じず、他の
病気と同じだという前大統領の発言に胸を打たれた。医療技術の発達で、今では元気
に暮らすことができる。感染を公表することに誤りはない」と語った。
 スミス議員は、アフリカ諸国では治療対策は乏しく、そうした国での感染者を取り
巻く事情は異なるとも指摘し、途上国では感染者は貧しい生活の中で不当な扱いにも
苦しんでいるとして貧困対策の大切さも訴えた。
 スミス議員は一九八三年に議員に当選し、八四年に同性愛者であることを告白し
た。当時は勇気のいる行為だったが、英社会や議会では好意的に受け止められ、九七
年の総選挙で労働党が政権を奪還したのに伴い、国民文化相に任命された。
 同議員はしかし、「仕事に影響が出ないよう、ごく親しい知人以外には知らせる必
要はないと思った」とエイズに対する偏見を考えてブレア首相にもHIV感染の事実
は伝えなかったという。
 同議員は病院の指示通りに治療に努め、山登りなどで体力増強に励んできた。この
ため、今後も元気に日常生活を続けられると期待してはいるものの、政界からは今期
限りで引退するという。

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一人の勇気から、すべてははじまる。
一人では変えられない、でも一人からしかはじまらない。

そんなことを思った記事でした。


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