SSブログ

今日の神戸新聞一面の記事について [人権(LGBT等)]

本日の神戸新聞の一面で以下のような報道がありました。
性同一性障害を受け入れ 小2男児、女児として通学 播磨地域
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000033162.shtml
「心の性」優先 教員ら対応手探り
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000033164.shtml
難しい子どもの診断
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000033171.shtml

これらのことについてコメントを求められたりしたのですが、紙面スペースの都合などで全部語ることが難しかったので、ブログに書きます。

○学校や教育委員会が本人の意思を尊重した対応をしたことについては画期的で高く評価したいと思います。
○今回の事例によって、「性同一性障害」の診断を受けたもののみが、自分らしい姿で学校に通うことができるという、診断が前提条件とならないようにしてほしいと思います。自分らしい姿で学校で勉強したいという希望を持つ児童・生徒に対しては学びの場を保障してほしい。教育委員会や学校が当事者に対して診断が必須であると条件付けることは危険です。そのことによって、本人の将来の可能性を狭めることも考えられます。
○同性愛者を公表している立場からいいますと、同性愛者の中には幼少のころ性別違和があった人もいます。そして、成長段階で性別違和に対する度合いが変わることがあることがわかっています。

大阪府立大学の東優子先生に教えて頂いた資料の中でも、
幼少期に性別違和をもつ子どもたちが、大きくなってもSRS(性別適合手術)などを希望するかどうか、という調査について、詳しくはKenneth J. Zucker and Susan J. Bradley:Gender Idnetity Disorder and Psychosexual Problems in Children and Adolescents(Guilford出版)の10章。

たとえば、Richard Green (1987)の調査では、
44人の「女性的な」男子のうち、1人(2%)のみが18歳になってもSRSを受けようと考えていた。
といった事例が紹介されている。いくつかの追跡調査を表にまとめたものも登場。

とあります。

ですので、性別違和を持つ児童・生徒すべてが将来にわたってずっと性同一性障害であるという自認を持つかどうかは本人次第だという知識はこれからの教育行政に携わる方々には知っておいて頂きたいと思います。(同性愛と性同一性障害の違いについてももちろん知識として身に付ける必要があります)

○性は本当に多様です。性の多様なあり方についての正しい知識、本人の意向を最大限尊重することが一番大事だと思います。

○また、これを機会に学校の中で、男女の別が本当に必要なものと、必要でないものとを再考することも必要です。例えば、男子はズボン、女子はスカートといった性別による制服の違いが本当に必要なのかといったようなことです。(現在では、女子でもスカート、ズボンどちらも選べる学校もでてきました。もちろん、制服が必要なのかという視点も大事だと思います)自分が自分らしくいられる格好で教育を受けることができるのがベストではないでしょうか。ぜひ、これを機会に男女平等の視点からの学校現場のあり方も問い直して頂きたいと思います。

今回の兵庫のニュースを聞いて感じたことを書いてみました。
誰もが自分らしく生きられる社会を、そして一人ひとり違うことが、私たちの社会の持つ豊かさであるといえる社会をつくっていきたいですね。

多様性のシンボル、虹は一色ではつくれません。


nice!(0)  トラックバック(3) 

nice! 0

トラックバック 3

Act Against Homophob..大阪市立大学で講演 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。