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堺と朝鮮通信使 [堺市]

市民会館で「堺と朝鮮通信使」についての講演会に行きました。講師は、中尾宏さん。豊富な資料を見せていただきながら、大変興味深いお話を聞くことができました。

まず、朝鮮通信使という名前ですが、回答兼刷還使としても来ていますので、両者を指すときは、朝鮮使節団というほうがよいそうです。(この二つは目的が違うので名称が違います。通信使は信用を通じるということで友好関係の使節団。後者は豊臣秀吉の壬辰・丁酉の役の捕虜奪還のための使節団です。)日本と朝鮮半島の交流の歴史の中で、重要な役割を持っていたこの朝鮮通信使が、ここ、堺に宿泊していたそうなのです。場所は、今の菅原神社(当時の絵によれば、とても広大な敷地だった)、少林寺小学校。私の事務所からそう遠くない場所です。

朝鮮通信使は、豊臣秀吉と壬辰・丁酉の役についての交渉をしようと来日したのですが、秀吉は全くとりあいませんでした。結局、秀吉に会うこともできず、捕虜も返してもらえないまま帰途につきます。堺を出航するとき、一緒に連れて帰ってもらおうと堺に集まっていた、朝鮮の捕虜の人たちがあまりにかわいそうで、なかなか出航できず、一日延ばしたという話がでてきます。

朝鮮通信使は江戸時代に入っても続き、以後200年間は、日本と朝鮮半島の友好交流の時代でした。その交流の歴史を忘れないようにしたいものです。


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