SSブログ

東京レズビアン&ゲイパレードの報道に関する署名 [人権(LGBT等)]

在ニューヨークのジャーナリスト北丸雄二さんが先日の東京パレードで全く大手マスコミが報道しなかったことについて、申し入れの文章を作成し、署名を募りました。もちろん、私も署名しましたが、とても素晴らしい文章なので、私のブログでも紹介させて頂きます。

http://www.bureau415.com/kitamaru/archives/000216.html

前略 編集局長ならびに社会部長さま(ここには各社における個人名を入れる予定です)

とつぜん長文の手紙を差し上げる無礼をお赦しください。
私たちは先日8月12日(土)午後に東京・渋谷から新宿にかけて行われた「東京レズビアン&ゲイパレード2006」を準備し、あるいは参加し、あるいは関心を持って見つめていた同性愛者などの性的少数者とそれに寄り添う異性愛者の有志のグループです。今回のこの手紙は、私たちのこの人権パレードが、翌日の新聞各紙でなにひとつ、あるいはテレビニュースでもほとんど取り上げられていなかったという事実に少なからぬショックを受けてお出しするものです。

12日当日は、東京はご存じのように激しい雷雨に見舞われ、午後3時から予定していたこの人権パレードもあわや中止に追い込まれるところでした。しかし中止にすることはどうしてもできませんでした。このパレードは1年近い大変な準備の末に行われる、性的少数者の年に1度の東京での示威行動です。もっとも「示威」といっても、もちろん私たちにはなんの「威力」もありません。私たちがこのパレードで目指しているのは「威」というよりもただただまずは「存在」を世に「示」したいということです。なぜなら私たちは、性的少数者への差別は、性的少数者の実際を知らない、あるいは実在すら知らない、多くの人たちのその無知と偏見から来ているものだと知っているからです。これを正していくには、第一に当事者たちの存在を具体的に示すこと以外に方法はないのだろうと考えています。私たちにとって、それは「カムアウト」という言葉で表されています。このような英語で表記せざるを得ないのは、それが日本的な方法ではないからなのでしょう。しかしとりあえずいまの私たちにはそれしかない。しかも欧米先進国に比べて著しく潜在している、あるいは言語化すらされていない差別感を抱える日本社会で、カムアウトすること自体にも大きなリスクが伴うのは確かです。ですから、このパレードには、取材されて顔が出ては困るという参加者のために例年、「取材および写真撮影不可」という隊列カテゴリーももうけているほどです。

あの激しい雷雨で山手線がスットップしていたこともあり、今年は参加者の激減が危惧されました。ですがあの雨の中、それでも昨年とほぼ同じ2292人が出発地点の代々木公園に集合し、予定の15分遅れで行進が開始となりました。雨は不思議と止んだのでした。沿道からの応援やイベント会場の参加者を合わせると私たちの数は計3800人にもなりました(デモ行進扱いのマーチは、東京では3000人を超える行進者は認められないようです)。東京ばかりではなく、みんなこの日のために全国から集まってくれた人たちです。ゲイとかレズビアンとか単純にカテゴライズされるけれど、中には学校の先生がおり、医師や看護師、ソーシャルワーカーなどのグループもいました。HIV/AIDSの支援団体の人もいれば、会社員も弁護士も会計士もコンピューター技術者もフリーターも学生も、それにメディアで働くゲイやレズビアンも参加してくれました。日本で初めて政治家としてレズビアンであることをカムアウトした尾辻かな子大阪府議会議員や、トランスセクシャルを公言する上川あや世田谷区議会議員も歩きました。社会民主党の保坂展人さんは国会議員として初めてこのマーチに参加してくれ、そのもようをご自身のブログでも公開してくれました(http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/d/20060812)。事実上の同性婚を法的に保障している英国のロンドン市長ケン・リビングストン氏からは、このイベントは「日本のレズビアンやゲイの方々の貢献をたたえ、目下の課題である人権問題や法的平等を勝ち取るための戦いを知らしめる絶好の契機だ」(Tokyo Pride is a timely opportunity to celebrate the contribution of Japanese lesbian and gay people and to acknowledge their ongoing struggle for human rights and legal equality.)とのメッセージが寄せられました。その他にも多数の欧米の政治家、人権団体代表の方々からメッセージをもらいました。日本の政治家からは、上記御三方以外のものは、ありませんでした。

ご存じのように、同性愛者など性的少数者の人権問題は宗教問題を絡めながらも現在の先進諸国の最大の政治課題です。にもかかわらず日本では、そのことを議論するどころか口にすることすらも忌避される傾向にあります。欧米で真剣に議論されている同性結婚の問題も、日本の新聞で読むとなにか「遠い異国の話」でしかない。そんな風潮は、もともと「性的なこと」を話題に上らせるのをよしとしないという、日本の文化的背景も一因であろうとは承知しています。さらには議論して衝突することを嫌う社会であるせいでもありましょう。でも「結婚」は、たんに性の話でしょうか?

でも、私たちが「示」したいのは、私たちの「性」の話ではありません。それらもすべて含めた、私たちの「生」のことなのです。そのために私たちは年に1度のこのパレードで私たちの「生命」と「生活」の存在を世間に示しています。それが差別と偏見をなくしていく最初の一歩だということを、先輩諸国の人権運動の歴史が示してくれているから、だからこそ私たちはリスクを冒しても顔を見せ手を振って公道をパレードしているのです。また、そうでなくては、欧米諸都市での数万人、数十万人規模のゲイ・パレードの説明もつきません。そこに参加する警察官の、消防士の、裁判官や検事や弁護士など法曹界の、政治家の、銀行や会計事務所や一般企業の、ありとあらゆる分野の参加者たちの動機を説明できないのです。ロンドンやパリやニューヨークなどでは、市長や国会議員が先頭に立ってこの人権パレードを歩く。その意味を、読者・視聴者に伝え得た日本の新聞・テレビはほぼ皆無です。それは、日本のメディアに従事するほとんどのジャーナリストがその意味を即答できないことでも明らかでしょう。それは、政治的な点数稼ぎのためではすでにありません。

このパレードに先立つ7月に、東京・新木場公園で同性愛者を狙った強盗傷害事件が起きました。
時事通信による配信では次のような事件でした。

**
◎同性愛者襲い、現金奪う=「届けないと思った」-高校生ら4人を逮捕・警視庁
 (時事通信社 - 07月27日 14:10)

 同性愛者の男性を襲い、現金を奪ったとして、警視庁城東署は27日までに、強盗傷害容疑で、東京都江東区内の都立高校生(18)ら少年4人を逮捕した。4人は中学時代からの遊び仲間で、調べに対し「同性愛者なら、被害に遭っても警察に届けないと思った」と話しているという。

 調べでは、高校生らは8日午後9時5分ごろ、同区の夢の島総合運動場内の遊歩道で、衣服を着けずに歩いていた板橋区の男性(34)に殴るけるの暴行を加え、現金2万1000円を奪うなどした疑い。男性は全身打撲の重傷を負った。
**

この記事の書き方のせいでもありましょうが、このニュースはインターネット上のブログやミクシィというSNSコミュニティ内で「突っ込みどころ満載」と形容され、さんざん面白おかしく取り上げられました。「衣服を着けずに歩いていた」のにどこに「現金2万1000円」を持っていたの? 「衣服を着けずに歩いていた」って、それって犯罪じゃないの? 両方とも犯罪者じゃないの? 「衣服を着けずに歩いていた」って、何をしてたの? どうして被害者が「同性愛者」だって分かったの? あそこはそういう場所なの? というふうに、“異様”な同性愛者たちの“異様な生態”の方に論が進んでいったのです。そうしてこの被害者は、強盗傷害の犯人と同列に、あるいは揶揄の点からはそれ以上に非難されることになった。自業自得、自己責任、というふうにしか発想しないこの本末転倒、ニュースを読む側の倒錯。こうした日本社会の非情の背景にはいったい何があるのでしょう。それをめぐって東京のゲイ・コミュニティでは70人が出席する緊急討論会も行われたほどです。もちろん、それも報道はされませんでしたが。

私たちがなぜ性的少数者への差別の解消を訴えているのか。
それは、性的少数者を差別しない社会は、他のすべての差別や卑下に関しても許さない正しい社会になるだろうと思うからです。日本でこれまでほとんど知的議論の対象になってこなかった性的少数者という存在を理解することは、あるいはとても難しいことかもしれません。それでなくとも日本社会には面白おかしい「ハードゲイ」像とか「おかま」像とかしか表面化していないのに、いったいどうやってそんな固定観念から自由に同性愛者というものを受け入れていくことができるのか。あるいはいまだに同性愛というものを「そっちのセックスのほうが好きだから自分で選んでそうなった」と思っている無知がはびこる中で、どうやって正しい知識を広める機会を持てるのだろうか。私たちの課題はとてつもなく大きく、重たいものです。でも、それを超えて、日本というこの社会をもっと真っ当なものにしたいからこそ、これからもパレードを続けていこうと思っているのです。なぜなら、同性愛者たちにきちんと向き合える社会は、病者や老人や外国人など、いわれなき偏見と差別にうちひしがれているすべての種類の人びとにもきちんと向き合える社会だと信じているからです。

しかし、それを日本でも成功させるには私たちだけの力では足りません。私たちにも、どうしてもメディアの力が必要なのです。欧米でももちろんそうでした。マスメディア各社の力添えがない限り、私たちの3800人のパレードは沿道わずか数十メートルの幅の、延長わずか数キロでしかないその通りすがりの人びとにしか伝わらない。いや、通りすがりの人びとにすら無視されるかもしれないのです。お願いです。貴メディアの力をお貸しいただきたい。私たちのことを、興味本位のものではない、ジャーナリズムの目を通して報道してください。私たちの現在は、人種、宗教、病気、性別、階級、障害、年齢、それら歴史上のすべての差別問題の再現なのです。私たちは、歴史です。それも現在進行形の。

私たちが最も恐れることは、私たちが単なる情報として消費されてしまうことです。HIV/AIDSの問題でもそういう消費と疲弊とが進行しています。それは教育と啓発の問題なのに、いつのまにかファッションの問題に置き換わってしまっている。結果、日本は先進諸国中ゆいいつHIVにとても脆弱な国家になってしまっています。

私たちは生きています。私たちを、私たちという歴史を記録してください。
今後末永く、少しずつでいいですから私たちをジャーナリズムに載せていってください。
そのために、いますぐでなくとも、性的少数者の問題を長期的に「生」の問題として扱う社内態勢あるいは社内コンセンサスを形作っていただきたいのです。

パリのドラノエ市長も、ニューヨークのブルームバーグ市長も、スペインのサパテロ首相も、私たちが求めればニュースになるようなメッセージくらいいくらでも送ってくれるでしょう。現在の東京都知事に期待できることはまったくないにしても、しかしこれくらいのことは「外圧」を必要とせずに私たち日本社会の中でやり遂げたい。
どうか、この困難な人権運動にお力添えください。

長文の、一方的なお願いの手紙になりました。
貴重な時間を割いて読んでいただいたことを感謝いたします。

お願いついでにもう一件。
来る9月17日(日)に、北海道札幌市中心部でこの種のパレードの第二弾となる「第10回レインボーマーチ札幌」が行われます。他都府県からも多くの参加者が札幌に向かいます。札幌の上田文雄市長は、この人権マーチに賛同を表明している数少ない日本の行政執行者・政治家の一人です。紙面の余裕がありましたら、ぜひ取材・報道してみてください。
詳細は「www.rainbowmarch.org/」にあります。

貴社の、ますますのご発展をお祈りいたしております。

不一。

             在NYジャーナリスト 北丸雄二拝

この書簡に賛同する方の連名署名をネット上の私のブログなどで募ったところ、5日間で次の方々から私宛のメールでお名前をお貸しいただきました。全員のメールアドレスは私が保管してあります。ご覧のようにメディア関係者のほとんどは残念ながら匿名・仮名での署名でした。本来ならばメディア内部の私たちの仲間が率先して社内啓発に努めるべきなのでしょうが、現在の日本で、社内「カムアウト」することの複雑困難な背景が存在するという事情をこのことからもご高察くだされば幸いです。このお願いの手紙は、貴社内で公開くださってもかまいません。
この手紙に関するお問い合わせ、ご意見は、遠慮なく私宛にお返しください。


nice!(0)  トラックバック(3) 

nice! 0

トラックバック 3

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。