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モスクワでのゲイプライドの集まりが暴力で制圧される [人権(LGBT等)]

ILGAヨーロッパによるレポート 

http://www.ilga-europe.org/europe/news/gay_pride_events_in_moscow_erupts_in_violence_moscow_militia_fails_to_ensure

28.05.06
Maxim Anmeghichean  maxim@ilga-europe.org
(ILGAヨーロッパ)  www.ilga-europe.org

2006年5月27日、モスクワプライドの主催者たちは、パレードは行わないが、代わりにふたつのアクションを起こすと記者会見で発表した。パレードの主催者、ニコライ・アレクセイエフはモスクワのLGBTコミュニティーのメンバーや海外からのプライドの参加者に、それぞれクレムリンの壁のすぐ隣にある反ファシズムの記念碑「無名戦士の墓」に午後2時半に来て、献花をするよう呼びかけた。そして、その後墓から歩いて5分のところにある12世紀のロシアの統治者ユーリー・ドルゴーキーの像のまわりに3時に集まるよう伝えた。この像はモスクワ市庁舎の真向かいにある。

オスカー・ワイルドの孫であり、このモスクワプライドに名誉あるゲストとして招待されたマーリン・ホランドは自分も参加していた27日のアクションについてこのように語った。「私たちはドイツのテレビ局の車に乗って、献花する場所の周りを走っていた。車には、自分のほかにニコライ・アレクセイエフ、ピーター・タッチェルと他の何人かが乗っていた。2時25分に車を降りて、花を持って歩き出した。バシキーリア共和国(ロシア連邦内の独立共和国)のLGBTに対しフレンドリーな国会議員エド・マージン、ニコライ、そして自分の3人がゲートに向かって歩いていた。ゲートまで4、5メートルのところで、突然まわりを包囲され、押されてつぶされそうになった。そして、ロシア正教の人たちのアンチゲイのスローガンが聞こえてきた。ジャーナリストのカメラが盾となっていたが、その後ろはネオナチの人々が取り囲んでいた。皆押されてどんどん自分たちのグループの立っている場所が小さくなっていった。そして、警察が外側から混乱の中心に入ってきて、人々を外に押し出し始めた。私はニコラスと一緒だった。その時、特別警察隊OMONが私とエドからニコラスを引き離し、ニコラスはOMONの車に乗せられた。憎悪のスローガンがこだましていたが、その時は言葉に込められた憎しみが気にならなかった。だが、これらの人たちの深い憎しみは本当に恐ろしいものだ。それから広場へと向かい、そこでピーター・タッチェルと再会した。彼が「一緒にいたほうがいい。様子を見ようとどこかに行かないで。行動を共にしよう。一緒にいたら、グループだと気づかれるかもしれない。でも、グループでいるほうがやられにくいだろう。」と言っていたので、一緒にいることにした。そして、警察がネオファシストのグループを引き離し始めた。それから10分くらい何も起きなかったが、ネオファシストの人々は再び集まり始め、今にも何かしそうな緊迫した雰囲気が漂っていた。Tverskaya通りに向かって人々が移動し始めた時、ある女性が自分のことに気づき、卵を投げてきた。Tverskaya通りと地下鉄のOkhotny ryad駅が交差するあたりで、ネオナチのメンバーが発煙筒をたき、煙がわいていた。この騒ぎのおかげで移動することができた。その時、ロバート(ウィンタミュ、人権を専門とするロンドン大学キングスカレッジの教授)と私は、歩きながらアンチゲイの人々がTverskaya通りを歩いているということを改めて思い返していた。土曜の午後のモスクワのメインストリートにこんなに多くの暴力的な人たちがいるなんて!そして、欧州議会議員のソフィー・インヴェルド(オランダ)が彼女のアシスタントのライティティアとともに私たちに加わった。私自身ゲイではない人間として、いったいゲイの人たちはこの弾圧をどんな風に感じているのだろうかと、心の中で強く思わざるを得なかった。自分は明日この国を出てゆくが、多くの人はここで暮らしてゆくのだ。彼らの人生は一体どんなものになってゆくのだろう。悲劇は、このホモフォビアとは理性をもっては戦えないことにある。暴力でしかコミュニケーションが取れない人たちと向き合ってゆかねばらないのだ。」

クレムリンの西側、アレクサンダー庭園の入り口には全部で30人から40人くらいのプライドのイベントの参加者がいた。この多くは外国人であった。そして、200人から300人ほどのゲイマーチに反対する過激派、そして地元の新聞によると、1000人以上の特別警察隊OMONのメンバーが、公共の秩序を守るという名目で来ていた。プライドイベントの参加者、ロシア正教会の過激派、国粋主義者など皆OMONの特別の車両に乗せらせて、警察署に連行された。警察署では、プライドイベントの参加者とアンチゲイの人々との間で処遇に差はなかった。過激派はロシア正教の聖歌を歌いながら、「聖水」を振りまき、卵やジャガイモをプライドの参加者に投げつけていた。彼らは「同性愛者はロシアから出て行け!」「ロシアに同性愛者はいらない!」「モスクワをロシア人のために清めよ」などと叫んでいた。ニコライを含む多くの人はその場で拘束され、パリ市長の元で働くフィリップ・ラスニ-もOMONの車両に乗せられていった。

2時50分頃から、プライドの参加者とネオナチのメンバーはTverskaya通りをユーリー・ドルゴーキーの像に向かって歩き出した。LGBTの人たちでそこにたどり着けたのはほんのわずかだった。ドイツの国会議員、ヴォルカ・べックは顔を血に染めながら逮捕され、フランス人パートナーとともに特別車に連れて行かれた。少なくとも50人ほどのジャーナリストがおり、劇的な瞬間を撮ろうとカメラを持って待ち構えていたが、LGBTのコミュニティからの声を伝えてくれる人は誰もいなかった。その時、突然ロシアの国会議員、ロシア自由民主党のニコライ・クリアノビッチがあらわれ、集まったジャーナリストに対し、このパレードは西洋からのロシアに対する挑発であり、ロシアには同性愛者の居場所はなく、一連のパレードに対する抗議行動は彼らを追放しロシアを「清める」キャンペーンの始まりであると述べた。しかし、あるジャーナリストがロシアの秩序を守るために他にはどのような人々を追い払うつもりかと尋ねたところ、彼は何も答えられなかった。この国会議員と支援者が「ロシアには同性愛者はいらない!」と大声で唱え始めた時、今回のプライドのオーガナイザーのひとりであり、初めてレズビアンであることを公にカミングアウトした、80年代のソ連の時代から活動しているレズビアンアクティビスト、イブゲニヤ・ダブラスカヤがあらわれ、ジャーナリストたちは彼女の方を向いた。だが、彼女がわずか数分話したところで、そこにいた群衆のひとりが彼女に向かって炭酸飲料をかけた。そして道路に顔をこすりつけられながら、彼女もまた特別車両に乱暴に連れて行かれた。国会議員のクリアノビッチと後から来たロシア正教の司祭はジャーナリストからのインタビューを受けており、彼らの周りには人ごみができていた。混乱はさらに高まり、警察は銅像のあるところから人々を分散させようと押し出し始めた。さらに多くの人が警察の特別車両に連行されたが、彼らの多くはネオナチのメンバーであった。ロシアのテレビ局RTVIの関係者とロシア版ニューズウィークの記者のふたりは暴行を受け、警察に連行されていった。パレードの参加者は銅像のとなりの広場からも追い出され、ネオナチのスキンヘッドの人々が待ち構える道路へと押し出された。彼らはLGBTの人々や支援者に近づき、「オカマたちはロシアから出て行け!」と声を張り上げていたが、近くにいた警察はそれを黙認したままだった。暴力が振るわれてはじめて制止に入っており、決して暴力を防ごうとはしていなかった。

デモの参加者が分散した後も、ネオナチのスキンヘッドの人々やロシア正教会の過激派が10人から15人くらいのグループでTverskaya通りをうろうろしながら、LGBTのように見えた人や、外国人を探してはあたりかまわず暴力をふるっていた。地元のメディアによると、二人の黒人男性がプライドには全く無関係であったにもかかわらず、ちょうどその時間にTverskaya通りでひどい暴行にあったとのことである。ILGAヨーロッパの役員であるピエール・サーン(フランス)、カート・クリックラ-(オーストリア)もスキンヘッドの人々に追われ暴行を受けた。ピエールは入院にこそならなかったものの、体じゅういたるところに血腫ができ、顔も腫れて、足も負傷している。カートは目に血腫ができてしまった。

拘束されたプライドの参加者は、皆その日のうちに解放された。警察においての拷問などは今のところ報告されていない。ロシアのテレビ局や通信社は、この日の出来事を否定的に伝え、パレードを愚弄するような姿勢であった。

5月27日にモスクワで起きたことは、アンチゲイの人たちこそが問題であるということをはっきり示す結果となった。平和的にデモを行おうとした少数の人たちが、数百人の暴力的なアンチゲイを唱える人々によって攻撃されたのだ。モスクワ市のパレードを阻止する決断について、市当局によれば平和的なLGBTのデモンストレーションが許可されないのは、まず一つの理由として、参加者の安全を守るのに十分な数の警察官がいないということであった。(プライド前の木曜日の時点では、法廷で市当局がモスクワには400人しか警察官がいないと証言している。) もう一つの理由は、2005年に同じルートでアンチファシストマーチを行った時は、国民の大多数がこれを支持していたため許可したが、ゲイプライドに関してはそうではないため、許可できないとのことであった。

これらは法廷でモスクワ市がプライドを禁止する理由として述べたものだが、ロンドン大学教授ロバート・ウィンタミュは、集会と結社の自由を保障するヨーロッパ人権条約の第11条は反体制的、大衆に支持されないデモをしたり、そういった意見を表明をする権利は守られるべきであるとしており、モスクワ市の挙げた理由は正当ではないと主張する。もし、デモが大衆に支持されないということで結果的に暴力的な人々を集めることになるのであれば、この暴力からデモに参加する人々を守るのは国の義務である。今回の出来事での問題は行政側の準備不足に原因があるといえる。もし、モスクワ市がデモを事前に許可していたら、デモに参加した人々も確実に安全を守られたであろう。だが、市当局がこれを拒否したため、モスクワパレードの参加者は前出の集会と結社の自由の権利を主張した。警察もデモに反対する人々に対応する準備はしていたが、場所がはっきりしなかっため、効果的に対応できなかった。また、二つのアクションが近いとはいえ別の場所でとられたため、参加者は二つの場所の間を動くことになり、警察も結果的に暴行が発生した時点で対処することになってしまった。近くに警察のいなかったLGBTの参加者は全く守られていない状況だった。Tverskaya通りでマーリン・ホランドが過激派に蹴られた時も、まわりには警察がいなかった。もし、ルートがあらかじめ許可されていたら、参加者も安全をもっと守られたであろうし、警察もパレードの前後に参加者の安全を確認できた。そうでなければ、範囲が広すぎて、参加者の安全を守ることは不可能になってしまう。警察はパレードのアクションの参加者とアンチゲイの過激派を区別せずに、すべての人を一つの群集として皆が集まる場所から押し出そうとしていた。LGBTの参加者だからといっても、見た目で区別できるわけではないので、警察も二つのグループを見分けられなかった。

オランダからモスクワのパレードをサポートするためにロシア入りした欧州議会議員のソフィー・インヴェルドは次のように語った。「欧州議会、欧州評議会において、このようなことを引き起こしたロシア政府に政治的圧力をかけるべく、自分にできるすべてのことをするつもりだ。EUロシアサミットでEUの首脳がプーチンに木曜日に面会した時に、誰一人としてパレードの弾圧について問題提起しなかったのは許されないことだ。平和的なやり方で意志表現をする権利はすべての人に与えられた基本的人権である。これは「西洋の価値観」だと揶揄されるようなものではない。平和と安全の保証された場で、自分は何者かということを表明し、非暴力的な平和なやり方でマーチをしたいというのは、世界のすべての人の願いである。」

(翻訳 細見由紀子)


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